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橋本英夫の知的好奇心 |
啐啄と阿吽の呼吸(イキ) |
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卵を内からつつく雛鳥、外から卵をつつく親鳥。 内と外の絶妙のタイミングが一瞬でも狂うと雛鳥には「死」が待ちうけている。 そこには天地不思議の妙が「啐啄同時」という呼吸(いき)をつくる。 しかし、卵の内と外の関係では親子という認識があるのだろうか。 私たち人間の理性で考えると親子という関係を認識するが、 天地自然の理では、生存本能の生命維持装置が働いたにすぎない。 卵の殻を破って、個別の生命体が顔をあわせた時に親子という関係になる。 子が親を選んだわけでなく、子が親に選ばれたわけでもない。 瞬間から親子という関係を受け入れ、子は親の真似をし、親は子を慈しむ。 そこに親子の『情』という絆が生まれる。 さらにまた「真似る」とは「学ぶ」を語源にしている。 子は親を真似ることからはじまる。 この親子の関係は、師弟の関係に通じている。 弟子は師匠の言動を真似ることからはじめる。 弟子は、手段方法、その技術の一切を訊かない。 見よう見まねではじめる。 師匠も、それについて何も教えない。 そこには、タイムラグという時間的環境が一切ない。 つまり『阿吽』の呼吸というものである。 師匠のすることに心の中で疑問や反撥を感じていても、 師匠の一挙手一投足の動きを一瞬のうちに理解する。 そして、師匠が心の中で求めている動きができるようになる。 理屈などいらない師弟同士の世界観。 つまり、それが『免許皆伝』というものである。 そういう師弟関係が、今の時代にあるだろうか。 師匠を信じ、無条件で受け入れる力が弟子にあるだろうか。 弟子には理屈が先に立ち、 師匠のすることに合理性がなければ受け入れることがない。 それが現代社会の歪みになっている。 これでは師弟の関係は成りたたない。 師弟の『真理』は無条件が第一歩である。 免許皆伝者である人、すなわち師匠には、 弟子への思いやり、労り、慈しみがある。 それを周囲に投げる。 一灯が万灯になる心。 つまり、それが『仁義』というものである。 こういう素直で謙虚な心を基礎にして、政治、社会、経済、経営などを語る。 生きるというすべてを語ることのできる国、それが日本という国で誇りとするところだ。 日本の企業は、誇りを第一義にした人間関係=コミニュケーション=阿吽・啐啄の親子・師弟関係をつくろうとするところに凄みがある。 |
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