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知の領域を学ぶ |
時代は技術革新を求めている。橋本流“イノベーション基礎学”のススメ第3回 イノベーションは、一人の単純な「気づき」から生まれる。<5の2> |
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−− 経営というものは、目先の利益を追いかけることが本来の目的ではない。人を作り、育てることが、経営の真の目的であり道である。アメリカを反面教師としつつ、目先のことに振り回されずにシッカリと足元を見て歩くことが重要だということを5回連続で説く、今回はその2回目である。 |
■国策に溺れたGM |
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経営者という職業は、瞬時として気を緩めて油断することはできない。また、いつの時も、身命を削るほどの決断を強いられる。そういう意味において、今、世界のビジネスキーパーソンの関心がアメリカの自動車産業界に向いている。 長らく世界最大の生産量を誇ってきたGMの破綻がそれである。 GMといえば、つい昨年(2008年)まで世界最大の自動車メーカーであり、アメリカの富を象徴する企業の代表格であった。その超・大企業が、なぜ経営破綻に追い込まれたのか。責任を経営者に押しつけるだけでは、事態の収拾は図れないし、解決にも至らない。 16世紀半ば以来のアメリカ建国の歴史は、人種差別問題に始まる南北戦争の多民族問題を法整備しながら、同時に、西部開拓史で知られるような幾多の暴力的解決を繰り返し、今日の安定した資本主義自由社会を築き上げてきた。時を同じくして、アメリカは世界の富と権力を自国に集中させようと、第二次世界大戦以降に「世界の警察」を名乗るようになった。 アメリカ建国の歴史を注意深く考察すると、アメリカ人と称する人々は、単純に自由な新天地を求めてヨーロッパから移住したのではなく、それまでの権力・覇権闘争の舞台を新大陸のアメリカに求めたのであったことが知れる。下世話に言えば、富と権力を集めるにはヨーロッパが手狭になったので、「舞台を移して稼ぐ」という発想だったということだ。 「世界の警察」ということに関しても、アメリカは強大な軍事力をもってそう名乗っているが、武器や航空機などが関わる大規模ビジネスの裏側には必ず、ドス黒い利権争いや権力闘争が渦巻いている。また、軍事と隣りあわせの宇宙開発事業にも「富の利権構図」が見え隠れする。こう考えると、アメリカは世界の警察として地域紛争への政治介入をすることで武器や兵器を売りつけて、自国の経済を活性化させようとする意図が窺える。 しかしながら、富を集めた権力者たちの思い通りにならなくなる時がいつかはくる。それが、サブプライムローンの破綻に端を発し、リーマンブラザーズの倒産が最後の引き金を引いた、世界の金融システムの同時崩壊であると言えないことはない。 というのも、彼らは、「“国際社会”から“グローバル社会”へ」という大転換が為されたときに社会や人々がどのように変化するか、予知・予測・予見ができなかったのだ。「国際化」という古い時代の経験則に根ざした発想や基準では、「グローバル化」という新たな問題に対応する先読みができなくなり、リスクマネジメントが機能せず、ミスが生じたということだ。 |
グローバル社会では「時間と空間」を構成している「場」の垣根が一切なくなり、すべての情報が瞬時に地球を駆け巡る。それが、ITという情報処理技術(通信を含む)の恩恵であり、これによって「国際社会」は「グローバル社会」に変貌を遂げた。 過去は、「モノ」の経済が国際社会を育んでいたが、20世紀後半には「コト」社会へ移行しようという動きがあり、21世紀に入ると「コト」の社会であるグローバル経済・社会が創出された。つまり、モノからコトへ大変革を遂げたということである。 「コト」社会のデメリットとして、情報の氾濫により不確定・不透明要素が多い社会になるという面がある。情報処理技術を駆使してITシステムが供給されても、そのシステムによる社会が、どのように変貌し変革していくかの予測を立てるのは難しい。発想の基盤を「モノ」社会に置いたままならなおのことだ。その代表がアメリカであり、彼らはグローバル化になったときの社会の仕組み化・システム化を構築しないで放置してきたということだ。 アメリカ流の利権エゴの権力者たちが、「モノ」の経済の社会システムを信じて、過去の方法論を頼って運営しているあいだに、世界の先進国は「コト」の社会である情報の経済に向かって驀進した。 さらにアメリカは、長らく自国流の企業会計処理原則を他の国に押しつけていたが、この押しつけも通用しなくなっており、最近では、アメリカも日本も、ヨーロッパの会計基準を採用する準備が始まっている(アメリカは一部すでに採用。日本は2011年から採用)。 こういった流れから、アメリカ流による経済成長のあり方は、国際的であるかもしれないが、グローバル社会には向かないということが言えるのである。 実は、会計基準原則の世界標準化こそが、本来のグローバル社会を完成させる第一歩であり、アメリカの利権エゴ者たちによる一人勝ちはできなくなるということだ。 アメリカは、ITが意味するグローバル社会の「真の社会」を穿き違えて解釈した結果、新たな社会経済の仕組みを創出して社会・経済の再構築(リストラクチュアリング)を図ることができなかった。このところに、アメリカの「凋落」の原因があり、始まりがある。これが、アメリカを象徴する超・大企業を破綻に追い込んだ最大の理由だと言って差し支えはないと、私は考えている。 |
さて、グローバル・マクロ的な社会の仕組みから一転して、地球環境問題におけるアメリカの世界観のブレをピンポイントで説明する。 1997年12月に世界の先進諸国が京都に集まり、地球温暖化に歯止めをかけようとCo2削減を申し合わせた際、アメリカは「自国の国益に沿わない」として京都議定書に署名しなかった。それだけでなく、化石燃料を大量消費する政策を国策として取り続けた。 世界中の自動車メーカーがダウンサイジングと軽量化と省エネを推し進め、トヨタがハイブリッド車を開発し、マツダが水素で走る車を研究し、ベンツはガソリン車より燃費が良くCo2排出量も少ないディーゼルエンジンの改良に力を入れているという時に、アメリカは相変わらず、温暖化防止対策と正反対の「アメ車」と揶揄される車を造り続けていたのである。それがクライスラーやGMの破綻に繋がったといえるし、アメリカが地球環境悪化問題の主犯とされても仕方のない具体的な根拠の一つである。 大量生産・大量消費。それがアメリカの大好きな「モノ」の経済を支える物質文明であり、それがアメリカンドリームの象徴であり、彼らは世界の富を自国に集中させるため、軍事力にモノを言わせて「世界の警察」を名乗っている。細かい理論を省いて結果を見ればそういうことになる。その発想は、仮想敵を作り、その敵を退治するために「世界の警察」を名乗ることで、軍需産業を盛んにして経済の活性化を図り、生活と暮らしの豊かさを維持するということである。 この矛盾に最も迷惑と実害を被るのがアメリカ国民であるが、“アメリカの手による世界平和”を謳う国是の前には、誰も逆らうことはない。それがアメリカという国の在り方であり、国策である。 国策は国益に直結する。アメリカ流“国富論”は、ドルを世界の基軸通貨にし、それにより自国を中心に世界経済の秩序をコントロールし、そこで発生する富を確保しようとするものである。軍事力と、宇宙開発における先行者利益がそのベースになる。 軍事産業や石油メジャーをはじめ、様々な国策企業の資本家や利権団体が、私利私欲のために政治を利用してきた。自動車産業もその一つだ。GMの破綻は、国によって保護・擁護されてきた産業が、まさにそれゆえ最大の被害者・犠牲者となった例なわけで、笑うに笑えない話である。 「コト」の時代、「コト」の社会に突入した今は、自然回帰とITをコンバージェンスさせることがグローバル化の真骨頂だと、私は、考えている。そこには、21世紀にふさわしい、未来型の新しい産業が生まれるようになる。それが、地球環境保全に関係する産業であったり、ITの機能と利便性を駆使した新しいサービス業であったりするだろう。 |
次回掲載予定は6月7日です。 お楽しみに。 |