知の領域を学ぶ

 

時代は技術革新を求めている。橋本流“イノベーション基礎学”のススメ第5回

イノベーションは、一人の単純な「気づき」から生まれる。<5の4>

 
 

 
   

――アメリカを反面教師としつつ、目先のことに振り回されずシッカリと足元を見て歩くことの重要性を説く4回目。「GMは国策に溺れた」としたうえで、前回に続き経営者の責任について考える。

   
 

■経営者の根性と勇気がいる

 
   

 とは言え、日々の戦いの中で経営の中心位置にあるのが品質とコストである。この両者は「アチラを立てればコチラが立たない」という二律背反が起る。この矛盾は収益に直結しており、いつの時も矛盾の原因を徹底追究しておかなければ、少しの気の緩みで収益に甚大な損失が発生する。

 ここで、コストと品質の二律背反の関係について考えてみたい。
 コストカットは、財務を短期的にみると収益を確保するのに有効であるが、中長期的なスパンでは企業の安定成長に弱体化が起こりかねないという、両刃の剣である。弱体化とは、一つには社内のモチベーションの低下であり、一方でそれはさらに「技術の革新性がなくなる」という重大な欠陥を引き起こす。
 たとえば、必要以上のコスト削減は品質低下を起こしやすく、品質低下は社員のモチベーションを低下させる要因の一つになり、そうすると企業はいずれ「収益性悪化スパイラル」に嵌まる。
 モチベーションという動機は、良い商品を作って、世の中に貢献しているという高い精神性があるから維持・持続できるものである。そのモチベーションが下がれば、人の心や気持ちは、目に見えないところから蝕まれていく。つまり、経営者がヒューマンパワーの重要性を分からないと、経営方針・指針のすべてが「絵に描いた餅」になる。
 先の7.8月号にも書いたとおり、経営陣が問題に気付いたときには、すでに消費者離れが起こっており、主力商品・サービスは、市場から姿を消している結果になりかねない。

 マーケターは、消費者(市場)と試験研究と商品開発を結びつける役割を果さなければならないが、マーケターが藪にらみになっているケースが多い。見方によっては、世の中の変化に「気づく」ことがないとも受け取れる。
 大企業の多くはマスをターゲットにした商品開発をしているが、先進国である日本国民が発展途上国のように消費を活発化することはもはや見込めない。日本国民のトレンド・風潮は、すでに大量消費の生活様式を卒業して文化・芸術を大切にした生活様式に切り換わろうとしている。その答えが、一つには少子高齢化という道へ歩む風潮に現れている。
 文化的・芸術的志向と少子高齢化の因果関係を正確に報告している文献は見当たらないが、私は1800年代初頭にイギリスで起きた産業革命以降のヨーロッパの歴史を検証すれば因果は容易に見て取れると考えている。
 すなわち文化・芸術を大切にしていこうとする国民は、モノを大切に使って生きようとする。このことは時間軸にも空間にも現れる。たとえば、親から子へ、子から孫へと代々で物が使い続けられ、特別な職人の技は伝承されていく。そうした時間軸での現れが伝統工芸になり、さらには芸術になり文化に昇華される。また、空間をデザインするのは建築やディスプレイに代表されるが、これもまた美への憧れからであり文化に結びついていく。

   
   

 モノを大量生産して大量消費するという「モノの経済」から、無形のサービスであるところの「心の経済」に移行すると、時間も空間も、すべてを超越できる経済が生まれるようになる。つまり「モノの経済」は必ず「心の経済=コトの経済」に移行すると考えるのが正しい。
 ところが今、日本は国を挙げて“国内需要喚起”のシュプレヒコールである。国内需要喚起は、モノの経済を中心にした政策スタンスであり、サービスを中心にした総生産を志向するスタンスではない。だが、日本政府が取り続ける「モノを中心にした経済政策」に矛盾のあることを誰も言わない。
 私は、時に、経営者やマーケターを集めた経営塾で講義を依頼されるが、その塾の質問に驚きを禁じえないことがある。私のロジックは、「少子高齢化を迎えると、その社会は高度な文化社会となり、芸術やスポーツが盛んになる。言い替えれば、モノを消費する経済からモノを継続して使う循環経済に入る。それに対応できる商品・サービスの開発をして、その準備を今から整備しなければなりませんネ」という、実に簡単なロジックである。私はそれを、自分の会社を引用して話す。
 ところが、である。『あなたの会社の商品・サービスは高額だ。私は、その商品・サービスを良いと思うが、私の収入では無理だ。その場合は、どうすれば良いのか』――質問の筋が通っているようだが、まったく質問になっていない。
 なぜなら、商品が必要であれば高くても手に入れるであろうし、必要でなければ手に入れようとはしないだろう。そんな中で消費者のニーズの多様化にどう合わせるか、商品の多様な価値をどのように創出するか。これが、次世代のマーケティングの根本思想でなければならない。いわゆる芸術・文化の価値を商品やサービスに折り込むことが差別化で、コモディティ化を防ぎ、低価格競争に陥らないための方策を練るべきなのである。つまり、いかに商品の優位性を形成するかが肝心なのだ。
 すべての消費者に合わせるというマスの考え方は勘違いであり間違いである。つまり、価値の多様化の方策を見つけることが大事である。それを見つけるために講義を聞きに来ているのに上記の質問が出るとなると、議論の噛み合うところはなくなる。
 日本には、たとえば地球環境保全とか、資源保護とか、Co2の排出を抑制する技術もある。水資源をめぐる環境型商品・サービスの開発もできそうだ。しかし、中小企業が手を出せそうな環境型の革新的技術を創出するのは容易ではない。経済的な資金力の問題もついて回る。

 とは言え、生き残りをかけなければならないのは言うまでもない。
 根性論では到底およびもつかないが、得意分野の技術の転用による商品開発・サービス開発で乗り切ることは可能ではないだろうか。しかしながら、そこに来ている多くの塾生は「何を作れば売れるか、ヒット商品の作り方は」という安直論が先行して、苦労して己のノウハウを溜めようとするマーケターが少ないのが残念なことである。
 根性論で言えば、竹ヤリでB29(若い人には死語であるかも?)は落とせないが、そういうバカと呼ばれるような気概がなければ、中小企業が生き残れない時代になっている。
 気概があって、次に、合理的方法・原理論がくる。このことへの認識が、中小企業において、経営責任のある人間、つまりトップに強く求められている。