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知の領域を学ぶ |
時代は技術革新を求めている。橋本流“イノベーション基礎学”のススメ第6回 イノベーションは、一人の単純な「気づき」から生まれる。<5の5> |
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――目先のことに振り回されず足元を見て歩く経営姿勢の重要性を説く5回目。マーケティング研究の限界と、“その先”のイノベーションに向け提言を試みる。 |
■トヨタ方式は生産性を改善する手段であり、そこからクリエイティブなモノが生まれることはない |
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市場から姿を消した商品が主力商品であれば、その企業は経営危機に陥り存続が不可能となっていく。企業はあくまでも市場で鎬を削り、競争に勝つことを絶対使命としている。当たり前といえば当たり前すぎることだ。競争に勝つために、各企業はコストを削減し、生産性を追求していく。 そこで持て囃されているのがトヨタの生産方式である。 多くの企業がトヨタ方式を金科玉条のごとく奉り、ジャストオンタイミングによる適時在庫に生産性向上の活路を見出そうとする。さらにまた、政府はモノづくりをベースにしたサービス業を後押ししようとしているが、その発想のほとんどはトヨタ生産方式をベースに高度経済成長時のモデルを追求しようとするものである。つまりマスプロダクションからの発想であり、規格統一製品の「どこを切っても金太郎飴」の平均的モノづくりを推進しているに過ぎない。 しかし、そのような大量生産、大量消費の時代は終ったと言ってよい。これを追いかけていると、先号まで述べてきたGMの二の舞を踏むことになるのは必至であり、優位性のない価格競争に陥ってしまう。 何度でも繰り返すが、これからの産業は文化・芸術性を商品・サービスにして価値を提供する。つまり「モノからコト」に産業が置き換わる。コトに換わるという意味は、高品質なサービス(個々の価値)の提供がこれからの時代に必要不可欠になるということである。さらに地球環境保全とあいまって、モノを大切に、大事に使うようになれば、「本物志向」を追求していくコトになる。 コストパフォーマンスの過剰な追求は本物志向を支える品質と相反する要素であり、定量化や定性規格などによって商品の品質は安定するものの、それでは商品に現状以上の価値を付与することは難しい。その先の文化性・芸術性の個々の価値を実現するには人の感性が必要となる。 トヨタ生産方式はあくまでもコストを削減して相対的に生産性を上げるための手法であり、そこからクリエイティブなモノを生みだすためのものではない。中小企業経営者はここを間違って解釈しているという一面がある。 「トヨタカイゼン」とて同じである。「カイゼン」は、私の考えでは人間改造(人材づくり=人材育成)の方法であり、品質向上とコスト削減という要素間の矛盾を解消する方法である。手段・方法を仕組みとして体系化し、小集団の組織で活動させ、自己完結させる。すなわち、暗黙知を形式知に変えようという取り組みが「カイゼン」であると理解すれば分かりよい。 ただ、それもやはり生産性向上のためのものであり、コスト削減に役立つものであり、新たな商品やサービスを生むものではない。経営の理屈が分かっていない経営者はトヨタ・カイゼンと聞けばすぐにでも取り入れようとするが、ここを錯覚して経営していると、中長期の利益を創出する根幹になるモノが「何も無くなっていた」ということになりかねない。 トヨタ生産方式については、生産性向上・生産管理の専門家が考察・検証し、学問としての研究論文が発表されているので、門外漢の私などがこれ以上評論する立場にはない。ただ、高品質性能は人の高邁な精神によって実現されるものだ。世の多くの経営者に向けて、そのことだけは言っておきたい。 |
■だれか一人の「勘」と気づきの直観力が企業を動かす |
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税理士や会計士、経営・マーケティングコンサルタント、銀行融資担当者の話は「生産性向上・コスト削減」の話が多くを占めている。なぜなら、彼らは直近の目先の利益を中心に考えてしまうからである。すべての専門家がそうだとは言わないまでも、そのように指導・誘導している場合が往々にしてある。しかも、国を挙げて短期決戦の指導をしていながら、行政が中小企業の成長・発展のための支援(いずれも長期的な取り組みが必要である)を公言するに至っては、カタチだけの政策と感じざるを得ない。私などは、この矛盾に不可解なものを感じている一人である。 こういうところに、実際面の隠れた落とし穴がある。経営者がその落とし穴に気づくか、気づかないか。それでも良いと諦めるか、どうか。興味深いところである。 こういった誤解や矛盾を知ったうえで一連の話を捉え直してみると、「トヨタ」において経営戦略の要を締めるマーケティングの手法は公表されてきたかという疑念が湧き、一切が闇の中であることに気づく。他社の利益=自社の不利益になる真髄の公開など誰もしないというのが本音のところだろう。 突如として「レクサス」が現われて市場導入される。一般人の我々が、「レクサス」をメディアから知らされたときには、すでに市場導入の九分九厘まで終わっており、既に、その時には、次の拡販段階に突入している。 ここは大きな興味が惹かれるところだ。 レクサス市場を創出しようと言い出したのは誰で、ベンツが牙城とする高級車市場に「殴り込み」をかけよう(言葉が悪い)と言い出したのは誰で、また、そこにトヨタの誰が気づき、それに対して誰がゴーサインを出したのか。そして、万一失敗したときのリスクは誰が負うことになっていたのか。 それらの仕組みはマーケティング理論をいくら勉強・研究したところで分かるものではない。 誰か一人の意志決定がそうさせている。 その責任者の絶対至上命令を受けてから、組織的な取り組みが稼動する仕組みがある。つまり、一人の意志によってプロジェクトチームが組織構成されるのである。 もちろん、英明な一人の人間が経営幹部に上申して取り上げられ、市場が創出されることもあるだろう。しかし、ヒット商品や革新技術などというものは、多くの人間が集まってマーケティング研究から答えを導き出し、その成果として商品化されるケースは極端に少ないと言ってよい。 ここで、考えなければならないことが出てくる。そういった異端的なことを起こす最初の一人は、革新技術やヒット商品をどのようにイメージしているかということである。 じつは、このイメージが何よりも大切で、「気づき」とか「インスピレーション」、「直感」という言葉に置き換えることができる。 と、なれば、「勘の世界」の話になり、いたって曖昧で、科学的根拠がなく合理性に乏しい話になる。 この科学的根拠のない「勘」がどれほどに重要かを気づく人が少ない。気づいていても、知識が先行して科学的根拠を求めてしまうが、あえて言わせてもらうなら、マーケティングの成功への導きは、あなたの「勘=気づき」に頼るべきであると結論づけて、次回の三章「ITについて」に繋ぐ。 |